完ぺきではない素晴らしさ
完ぺきとはいったい何をもっていうのでしょう。
「完ぺき主義だから」という方を傍から眺めてみると、申しわけないですが「いや、ちっとも。残念ながら、全然」です。
ご本人がそう思っていらっしゃるのですから、他人がわざわざ干渉することではないでしょう。
けれども、やはり「ちっとも、全然」なのです。
むしろ、自分で完ぺきだと思い込んでいる人ほど完ぺきとは程遠いところにいらっしゃる感すらあります。
ある一つのこと、あるいはある分野、ある時期、ある時代においてなど、限られた範囲のことについてはもしかすると完ぺきなのかもしれません。
それでも、所詮、その方がご自分の狭い世界だけで考える完ぺきなので、人の数だけ価値観や大切なことがあるこの地球上では絶対的な完ぺきなどどこにも存在しないと思います。
ある人にとっては大事であっても、ある人から見れば何も意味をなさないものなんて世の中にはたくさんあります。
むしろそういったものごとでこの世の中は構成されているのかもしれません。
私たち人間は、生まれた時から完全な存在です。
なぜなら、ただ存在するだけで素晴らしく、それに勝る付加的なものは何一つ必要ないほどだからです。
けれども、完ぺきではありません。
人生においてその都度、いろいろな場面に遭遇してはさまざまな間違いを犯し、それらを修正して調和をとる学びを周囲との関係を通して身に刻んでいます。
成長していくために私たちはこの世にあるようなものだとさえ、私は個人的には思っています。
だから、やはり素晴らしいのだと思います。
こうだと思っていたことがこうではない。
人生には、常に想定とは異なることが生じ、先々を、次の瞬間でさえも、また世界を、そして自分でさえも完全に把握することができません。
だからこそ、今を一生懸命に生きることでそれらをより深く知ろうとする。
ものごとを広く捉える視野と何にも柔軟に対応できる基盤となる力を養っているわけです。
こうなりたい夢を抱きながら、そのために今やれることを探してそこに向かって積み重ねを行うわけです。
それでも、完ぺきなことなど一つもありません。
だからこそ、人生、そして私たち人間は素晴らしく、奢ったりすることなく生涯をとおして謙虚に学び続けられるのだと思います。
人間は完ぺきではない。
だから、素晴らしい。
これを、たとえ無意識であれ受け入れている方は強いと思います。
完ぺき主義に陥り、他者や周囲の環境に対し批判的な見方をしたり欠点ばかりに目がいくようになったら・・。
一度「自分はなんぼのもんじゃい!」とご自身に問うてみてください。
実は、ご自身が完ぺきでないことを誰よりもわかっていらっしゃるのではないでしょうか。
自分のありたい理想と現実の姿との狭間で思うようにならないジレンマや苛立ち。
これらを、ただ目に映る自分以外の存在へと差し向けていることに気づくことができるかもしれません。
残念ながら他者をそんな自分の狭い見識だけでジャッジしているとき、人は完ぺきとは程遠いところにいるものだと思います。
そもそも私たちは完ぺきである必要があるのでしょうか。
ちっぽけな人間一人の自己満足のためだけに・・。
完ぺきじゃないから私たちは美しく、素晴らしいのだと私は何度でも言いたいです。
生涯、他者との関係を通して自分自身を磨きながら自分のありたい姿を目指して謙虚に学び続ける。
そのために私たちはこの地球に生まれてきたのではなかったかしら・・。
そんな気がします。